お金と価値について
- お金と等価交換により他の人から物やサービスの提供をしてもらう
- 価値を決めるのは人間の曖昧な感覚
資産形成では、価値が変動するリスク資産を保有することになります。
しかし、自分が保有する資産の価値が変動することに不安を感じる方もいると思います。
そこで、お金と資産の価値について、少し考えてみます。
そもそも誰がお金を必要として使っているのかを考えると、結局、お金を払うのも、そのお金を受け取るのも人間です。
それでは、何のためにお金を稼ぐのかというと、お金と等価交換により他の人から物やサービスの提供をしてもらうためと言うこともできます。
そこで、お金とは一体何なのかという問いに対して、(人々が納得している)価値の等価交換を媒介するものと考えて話を進めます。
お金があることによって様々な物やサービスを得ることができますが、それはお金を対価として他の人に提供してもらえるからこそ手に入ります。
例えば、サラリーマンは、企業に勤めて労働してお金を得ていますし、企業からお金をもらって、知識、スキルや労働力を企業に提供しています。
その反対として、企業側からすると、費用としてお金を払って労働力を得ていることから、お金のやり取りは常に反対側に人(企業は法人という名の人です)がいるということになります。
また、物やサービスには労働力の集約物としての価値だけでなく、希少価値などのプレミアムも価値にプラスされます。
それでは、実際に、物やサービスを等価交換するにあたり、何が価格を決めているのかというと、売る人と買う人のお互いの納得により価格が成り立っていると考えられます。
言い換えると、物やサービスの対価としての価格が高いか低いかは売る人と買う人の納得感で決まります。
ここで、売る人と買う人が考えている価値と実際に取引する価格がズレると、割高感や割安感が生まれます。
物やサービスの価値や価格を決めているものは何なのでしょうか。
割高や割安をなくすために、価値と価格が同じになるように調整されるとした場合、価値(価格)がどのように決まるのかを考えてみます。
割高感や割安感という感覚は人それぞれ違うものですが、同じ感覚を持つ人が多くなるとその感覚は共通認識となります。
では、一般的な価値の感覚を作り出す要因として、取引量の多さを考えてみましょう。
例えば、りんご1個を1,000円で売る人と買う人がいて、りんご1個の取引が成立したとします。
この場合、その世界でのりんごの価値は1,000円として人々に認識されるでしょうか。
その世界にりんごが1個しかないのであれば、りんごの価値は安定せず、2,000円にも1万円にもなる可能性があります。
価値は人間の感覚で決められるものですから、比較対象がなければ、割高か割安かを判断することは難しいでしょう。
しかし、その世界にりんごが無数に存在するのであれば、ほとんどのりんごが100円で売られていた場合、多くの人が100円でりんごを買うことになり、りんごの価値は100円として人々に認識されることとなります。
なので、一般的な価値は、大量の取引、つまり買い手と売り手の取引が大量にある価格帯で価値が決まると考えてもよさそうです。
価値が高い低いは人間の感覚で決まるものであり、多くの人間がその価値を妥当と判断すれば、それが常識となる世界になります。
また、他の人がこの価格で買っている(売っている)から同じ価格で買う(売る)しかないという思い込みが価値を決定づける面もあると個人的には思います。
人間の感じ方で価値が決まる以上、バブルや金銭感覚の崩壊は起こり得るものであり、冷静になった時に本来の価値や金銭感覚のズレに気づくのでしょう。
ここでは、お金と価値について、曖昧さが存在することがわかりました。
リスク資産の価値も当然のように変動します。
もし、リスクテイクに不安を感じるようでしたら、また別のところでお話しようと思います。
- お金と等価交換により他の人から物やサービスの提供をしてもらう
- 価値を決めるのは人間の曖昧な感覚